Substackが心地よい理由がわかった。
昨日久しぶりに、ちょっと読みたい記事があって、検索からブログを開いた。
そしたら、もう広告だらけ。
記事の冒頭にバナー、途中にインフィード、スクロールするたびにポップアップ。強制的に見せられる広告。。
読みたいのは文章なのに、視界に入ってくるのは広告ばかりで、正直もう耐えられなかった。
諦めてページを閉じた。
そのとき気づいた。
自分がSubstackを心地よいと感じていた理由は、これだったんだ。
広告がない、という静けさ
Substackには広告がない。誰かの記事を開いても、途中で視線を奪われることがない。書き手の言葉だけが、静かに並んでいる。
これは当たり前のようで、今のウェブではかなり贅沢なことだ。
広告モデルのブログでは、ページを開いた瞬間から「読者の注意」が商品として売られている。
だから読んでいる最中にも、あの手この手で視線を引っ張ろうとしてくる。読みたい文章にたどり着く前に、もう疲れている。
Substackにはそれがない。だから、他人の文章を読むという行為そのものが、気楽でいられる。
noteも広告なし。でも、ちょっと違う。
noteも広告のないプラットフォームだ。構造的にはSubstackと同じポジションにいる。
でも、正直なところ、noteにはデザインのセンスがちょっと足りないと感じてしまう。
文章を載せると、なぜか少し野暮ったくなる。フォントの選び方なのか、余白の取り方なのか、全体のトーンなのか。
上手く説明できないけど、「読む体験」としての洗練がもう一歩という感覚がある。
一方でSubstackは、行間の調整ひとつとっても、長文が読みやすくなるように丁寧に設計されている。フォント、余白、改行の間隔。
派手ではないけれど、所々にセンスを感じる。書き手が何も意識しなくても、文章がそれなりに美しく見える。
この差は、書く側にとっても読む側にとっても、じわじわ効いてくる。
心地よさの正体
結局、Substackの心地よさの正体は、「邪魔されずに、読みやすい環境で、文章だけを味わえること」なんだと思う。
広告がないこと。
デザインに品があること。
読む人の集中を守ってくれること。
どれも地味だけど、今のウェブでは希少なことだ。
やっぱり心地がよい。



